川村・河村一族の系譜

川村・河村一族の系譜について

波多野氏と松田氏1

◉波多野氏

佐伯氏だったが、藤原秀郷子孫に変更。
→京都への影響のため?

◎京風文化と官位
頼朝の兄、朝長の母は波多野氏
藤原氏と婚姻
→関東武士にしては珍しく官位をもつ。
秦野氏に京都の地名
八坂 東山 現秦野市に残る

頼朝 忙しい中、松田亭(波多野惣領家)を修復命令だしわざわざ見に行く
兄朝長の領地でもある。
鎌倉幕府の屋敷の参考にしたか。
→京風文化を鎌倉へ

実朝より朝廷の使者の任を受ける
文や歌、京風作法に優れ、官位を持つ。

実朝が討たれた際、首が不明とされている。
地元伝承では、波多野氏領地(秦野市)に埋められて首塚がある。波多野氏が祀った。

◎各支族
長男が松田氏。惣領家になる。
松平→徳川のようなものか?

松田氏は伊勢盛時に協力し、後北条氏筆頭家老。
8000石
松田憲秀へ。
豊臣家との彼我の戦力差を考え、降伏し生き残り策を考えたが、裏目に出たのと豊臣方がこれを内通としてばらしたため不忠者扱いされた。

次男が前田家に4000石で仕える。
前田で新参者でこの石高は高評価。
中老クラス

松田氏から
京都奉公衆
本阿弥氏→本阿弥光悦
など

秦野盆地は狭いため、足柄平野
諸氏に別れる。

河村氏
沼田氏
→沼田祐光
三河尾張波多野氏→丹波波多野氏
越前波多野氏 道元を招き永平寺建立
山陰波多野氏
九州大友氏
大友宗麟
など。

足柄諸氏と連携

南北朝時代
南北朝に別れ敵対する

北朝 足利尊氏 畠山国清
波多野氏
南朝 新田氏 足利直義の残党?
松田氏 河村氏

南原(みなみはら)の戦い
北朝方が勝利し
松田氏は衰退
河村氏は滅亡 後復興し河村郷を再び治める

後北条氏二代氏綱の際、河村城は本家松田氏が治める。
今川氏や武田氏に対抗するため。

※河村氏はこれから研究

◎波多野荘波多野氏
秦野市には古墳があるが、現在のところ波多野氏には繋がっていない。
衰退したのか、秦野市には波多野氏が残っていない。
・現松田町に移転?
・松田氏に吸収?
秦野市の歴史研究予算削減のため、2006年以降研究されていない。